2008.11/7開始。BLと猫とドールをこよなく愛しています。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 たとえば。 PR 昨日は塾で嫌なことがあり、今日はお店で嫌なことがあり・・・。
現状を打破するために、何かをしなきゃいけないと思っています。
なんでもいい。 新しいこと。 考えるだけで、わくわくする。 何をしよう。 春というのは、そういう新しいことを始めるのにとても向いている季節ですね。 そのチャンスを逃す手もない。 携帯小説があるように、ブログ小説もあるんですね。 これやってみようかな。 残念ながら、ジャンルはBLじゃないです。 ①勉強になる。 ②自分の力量がわかる。 ③新たな逃げ場にもなる。 ④他の人の反応がわかる。 ⑤夢に近づく。 もっと、利点はあるかもしれない。 光が見えた。 それがすぐに消える光でも、今、照らしてくれている。 新しい道を。 それが希望というものなのかな。 希望はやってくるものじゃなく、探してつかむ物なのかもしれない。 きっとずっと幸せなぬるま湯に浸るような毎日なら、何も考えなかっただろうかも知れないから。 これは一つのチャンスだな。 目の前にすっと幾重にも枝分かれした道が突然現れた感じ。 それは、本当に細い道だけど、もし選んだ道が正しければきっとそれは進むたびに太くなっていくはずで。 もし違っていたら、また新しい枝が現れるんだろう。 魔法のように。 仕事から帰ったら、真剣、考えてみよう。
今日は朝出勤でした。
本当は午後からだったのだけど、前々日に電話がかかってきて、交代して欲しいと言われました。 このところ朝の調子がすこぶる悪かったので、しんどいなとは思いましたが、断れませんでした。 世の中、助け合いでなりたっているから、こういう場合、快く代わってあげなくちゃ・・・・というのが建て前。 ホンネは・・・・・・・・・。 言ったもの勝ちという風潮は社会に出るとよくあります。 なので、自分も出来るだけ主張しようとは思っているけど、なかなか難しいですね。 行き過ぎると、自分勝手でしかなくなるし・・・。 私が交代のときにほっとするというBさんなのですが、こういう急なお願いはよくされます。 月に二回ほど。 人間って、平面だけで出来てるんじゃなく、サイコロのようにいろいろな面があるんだね。 この面は好きだけど、この面はあまり好きじゃないかも・・・って。 自分もかなりの多面体だと思うから、人のことは言えない。 自分が多面体だからこそ、他人のが案外許せたりするのかもしれない。 自分はずっと許されたいと思ってきました。 あらゆることを。 他人にそれを求めるのは酷だと思ったので、まず肉親に。 でも、私の両親はとても真面目な人たち(カチカチともいう)だったので、許せることと許せないことの境がはっきりしていて。 そういう人たちを説き伏せるのは本当に大変だった。 他者(娘も含む)に対する理想が高かった。 なので、そういう自分にならなければとずっと思っていた。 大人になるに連れて、その道から大きく外れて行く自分が申し訳なくて。 でも、自分はそれまでの自分だった。 それを私だけじゃなく、親も認めるのに抵抗があったのでしょうね。 私が十代からずっと望んでいたことは『親孝行』だったけど、実際はかけ離れた生き方をしている。 でも、本当の親孝行ってなんだろう。 今、母は私がビーズを買ってあげたり、作った指輪やネックレスをあげると、それだけで嬉しい顔をしてくれる。 かつて、母の日や母の誕生日にプレゼントをした時でさえ、見たことのなかった笑顔で。 雪解け・・・なのかな。 レビュー、なかなか書けません。 かわいさんのを読み返していますので、もうしばらくお待ち下さい。
自分はトラウマに対して、かなり弱い体質だと思う。
だから、PDになったとも言えるが・・・・。 脳にはコントロール出来る部分と出来ない部分があるんだろうな・・・。 自分の力では、意思ではどうしようもないことが、他者にも、自分自身にも多すぎる。 最近の天候。 うっとおしい雨のじめじめした感じ・・・。 こういう天候の時は、決まってからだの調子が悪くなる。 かつて患った、自律神経失調症の症状がにじにじと現れる。 頭が重く、浮遊感があり、目が辛い。 背中から頭にかけて凝り上がってくるような疲労感、倦怠感。 こんなのだから、頭もまったく使い物にならない。 お昼からはまだましなんだけど、午前中はダメ人間。 でも、こういう辛さっていうのは人に伝えるのが本当に難しい。 漢方薬やいろいろ試して、治ったはずだったのに・・・。 時々、現れる。古傷のよう。 昔は『なまけ病』と言われたとか。 知らない人にはそうとしか思えないんだろうな。 親も初めは受け入れるのが難しかったみたいで、理解してもらうまで本当に時間がかかりました。 その間の苦しさは、とても言葉でいいようがない。 体に原因がないのに症状だけ現れて、苦しめる。 どこの内科へ行っても、検査をしてもらっても『異常がない』と言われる。 ここらの病院の先生はあまり人の心については専門外なのか、不思議ですねくらいにしか答えてくれなかった。 ここまで、自分の病状を否定されて、自分でも頭がおかしくなりそうだった。 でも、『精神科』へ行くことだけは嫌で、それは私に残るたった一つの矜持で・・・・。 だけど、もうこれ以上耐えられないところまできて(家の中は壮絶でした。私が荒み切っていたので)、少し離れた場所にある国立と名の付く病院の精神・神経科を訪ねた。 でも、そこでもほしい言葉はもらえなくて。失望を深めるだけで。 結局、神経を落ち着かせる軽めの安定剤をもらって、それが私の命と精神を繋いでいたって感じですか。 その頃は、私がそこまで(あれだけ拒否してた精神科の受診を自分から受けたこと)辛がっていることをやっと気付いてくれた両親の理解を得られて、今まで一方通行でしかなかった話し合いもやっと両親の心に届いているという安心感から、ずっと違う意味でたまったていたものがつき物が落ちたようにはがれ、そういう自分を生きていこう、生きていくしかないと思えるようになっていってました。 あきらめ・・・ではなかったと思う。 それにとても似ていることではあるけど。 医師に対しては、辛い心理だけを打ち明けさせられただけで、何の回答も、処置もしてくれなかったというので、不信感というのが頭から拭えず、未だに頼ることが出来ない。 違う医師に対しても、また同じように駄目な人だったらと思うことで、やはり頼れない。 これは、トラウマ・・・ですよね。 ま、そんなので、自分の体なのでなんとかしようと今も思っているわけですが・・・・。 家庭内崩壊・・・してたよ。 暴力はなかったけど、言葉でかなりお互い傷つけあっていた。 好きな親たちなのに、わかってもらえないことが辛くて。 肉親にしかわかってもらえないことなのに・・・と恨んで。 母も父までも、泣かしていたから。 『死にたい』って、言って。 毎日、家の中は火が消えたような様子で、御通夜みたいだった。 地獄だった。 親を泣かせるということがまたたまらなく辛いことなのに、そうすることしか出来ない自分がまた悲しくて。 今もその頃のことは母の中に深く残っているんだと思う。 結局、どこまで理解できていたのかわからないけど。 よく、私の反抗期は大人になってからで、凄かったと言っているので。 反抗期にされちゃってたのか・・・とずっこけますが。 母の中ではPDと自律神経失調症も一緒になっているみたいだし。 ま、どっちも患ってるのでいいです。 生きたいと思うから、どんな自分でも許せるんだと思う。 仕方ない。普通じゃなくても、自分を生きようって。 セントジョンズワート、飲んで、仕事へ行って来ます。 聖人君子になりたいと思わないけれど、裏表のない人にはなりたいと思う。 |
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